1946 日本国憲法の成立 ─ そして続く成立過程の評価 GHQ草案を土台に帝国議会で審議・修正・可決された。以後一度も改正されていない憲法の、成立の経緯と、その評価をめぐる論争。
日本国憲法e-Gov ↗は1946年11月3日公布・47年5月3日施行で、一度も改正されていない1。成立の経過は以下の通り。
2月8日 日本側(松本委員長)が改正案「松本案」をGHQに提出。
2月13日 GHQは松本案を拒否し、その場でGHQ草案を日本政府に手渡す。
2月22日 日本政府はGHQ草案に沿う方針を閣議決定。
6〜10月 「帝国憲法改正案」として帝国議会(衆議院・貴族院)で審議・修正・可決(文民条項の挿入など)。
11月3日 天皇の裁可を経て公布。
GHQ草案を土台としながら、帝国議会の審議で日本側が独自に追加・修正した条文がある。主なものは、衆議院の芦田小委員会と貴族院で、それぞれ以下の通り1,2。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 生存権(25条1項)の追加 | GHQ草案にも政府案にも存在しなかった条文。社会党議員らがワイマール憲法(第151条)を参考に起案し、「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を憲法に明記するよう主張した。芦田小委員会で採用された2。 |
| 9条2項への文言挿入(芦田修正) | 芦田均小委員長の提案で、9条2項の冒頭に「前項の目的を達するため」という文言が挿入された。この修正はGHQ側から異議が出なかったが、後に極東委員会で「自衛を口実とした軍備保持の抜け穴になりうる」と問題視され、これが文民条項追加要求の遠因となった1。 |
| その他 | 国民主権の文言の明確化(前文・1条)、国家賠償・刑事補償・納税義務などの条文追加、内閣総理大臣を国会議員の中から選ぶ規定など。 |
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 文民条項(66条2項)の追加 | 「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない」。極東委員会の要求に基づきGHQ側から求められ追加された。「文民(civilian)」の日本語訳として「文民」という造語がこのとき貴族院小委員会で考案された1。 |
| 普通選挙の保障 | 公務員の選挙における普通選挙の保障を明記。 |
成立過程の評価は戦後ずっと割れ、改憲論議のたびに繰り返し問われてきた。改憲を求める立場は、日本側の松本案が拒否されてGHQ草案が土台になった点を重く見て、国民の意思が十分に反映されていない自主的でない憲法(「押しつけ」)だと主張する3。これに対し、GHQ草案を土台としつつ、帝国議会という当時の正規の手続き(明治憲法73条)で審議・修正・可決され、前文の国民主権や生存権など日本側の発意による修正も加えられた、として「日本も関与した」とみる立場もある4。
この対立は事実認識の差というより、同じ事実のどちらを重く見るかの差である。加えられた修正の評価も分かれ、生存権が日本側(衆議院での審議)による追加、文民条項がGHQ・極東委員会側の要請という点では研究者間におおむね合意があるが2、9条2項冒頭に「前項の目的を達するため」との文言を加えた芦田修正が、自衛のための意図的な余地づくりだったのか、善意の文言調整だったのかは、今も議論が続いている3。
出典
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