1871 戸籍法の制定と「壬申戸籍」─ 近代戸籍の出発点 明治政府が、身分別だった人別帳に代えて、居住地と「戸」を単位に全国民を登録する仕組みを作った。
1871年4月、戸籍法国立公文書館 ↗が制定され、それまで府県ごとに異なっていた戸籍作成の規則が全国的に統一された。この法に基づき翌1872年に作成された最初の全国的戸籍を、その年の干支から「壬申(じんしん)戸籍」と呼ぶ。
江戸時代の宗門人別改帳が身分別に人を把握していたのに対し、壬申戸籍は華族・士族・平民の別なく、現実の「戸」(家)を単位に、居住地で登録するものとされた。戸主を筆頭に家族を記載する形式がとられ、国が全国民を直接把握して徴兵・徴税など行政の基礎資料とする仕組みでもあった1。
壬申戸籍には、一部に旧身分に関する差別的な記載が残った例があった。1968年、これを被差別部落の出身か否かを調べる目的で利用しようとした事案が問題となり、法務省は同年、一連の民事局長通達でこれに対応した。同年1月の先行通達を経て、3月4日付 民事甲第373号通達で「明治五年式戸籍については、閲覧の請求に応じないこと」と閲覧禁止を明文化した。続いて3月29日付 民事甲第777号通達で、市町村による廃棄申請の許可、保管する場合の包装封印、法務局・地方法務局での保管といった保存方法の取扱いが定められた2。これにより壬申戸籍は事実上閲覧不可となり、現存するものは封印して保管されている。
壬申戸籍は、身分別だった登録を「戸」単位の全国民登録に変えた点で近代戸籍の出発点とされる。一方で、それは完全な個人単位の登録ではなく、「戸」を単位とする仕組みは、後の明治民法の「家制度」の基盤となっていく。
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